【Vol.1】<熊本県菊池市の地域活性化に向けて> の記事が公開されました

【福田政隆】可能性を強く信じられるようになった原点〜熊本県菊池市の地域活性化に向けて〜

日本の地域社会が活性化していくためには、どんな視点が必要なのか。

長年、日本の大きな課題の一つになっている地方の過疎化と財政難。
国も様々な取り組みを積極的に続けてきてはいるが、地方の人口減少には歯止めがかからない状況だ。
しかし一方で、コロナの影響により都心部に住むよりも、自然や人の温かみを感じられる地方に注目する人も増えてきている。

自身も熊本県菊池市出身で、ITやマーケティングの専門家として多くの起業家や経営者の支援をする一方、
大学では公共経済学を学び、地域の「まちづくり」について研究してきた福田政隆さん。

福田さんは、約2年前から地元である菊池市に戻り、地域活性化に向けた積極的な取り組みをはじめている。
2021年は、今後の菊池市のまちづくりについて議論を重ね、市に提案をする第3次総合計画策定審議会のメンバーとしても活動。
様々な課題を抱えている菊池市が、「どのような未来を目指すべきなのか」ついて、公共経済学の知識や研究はもちろん、
ITやマーケティングの専門家としての立場からもアドバイスを行ってきた。

「地方×IT×マーケティング」の掛け合わせによって、
地域社会の可能性を広げていくことができると語る福田さんが描く、熊本県菊池市の未来とは?

菊池市で生まれ育ったストーリーから日本の地域社会を活性化するためのポイントまで、詳しく話を聞く。

地域との絆、距離感が心地よかった

日本の地域社会について本気で興味を持ち始めたのは、大人になってからですね。

私が生まれ育った熊本県菊池市は、田園風景が広がっていて、美しい自然や豊かな水にあふれるまちで、
今も昔も人と人との距離感が近く、助け合い精神が受け継がれているような場所なんです。

子供の頃は、家族や親戚、近所の友達たちと一緒にワイワイと過ごす時間が好きで、
周りの人たちが楽しそうに笑ったり喜んだりする姿をみるのが大好きでした。

ご近所や親戚、地域での人との絆などが、とてもあたたかく感じられて、
周りが笑顔だと自分まで嬉しくなってしまうような、そんな子供でしたね。

両親は、自分が中学生の時に離婚しているのですが、8歳と10歳年の離れた姉が二人いて、
まるで家庭内に3人母親がいるような環境で育ったため、寂しさは全く感じませんでした。

地元で建設業を営んでいた祖父が、年に1回、親族じゅうに声をかけて連れて行ってくれる旅行を、とても楽しみにしていたのを覚えています。両親が離婚した後、父とは疎遠になりましたが、父方の祖父母はその後もとても可愛がってくれていました。

ただ、今思うと、女性ばかりの家庭の中で、末っ子の僕は少し守られすぎていた気もします。自分ではあまりそういう自覚はなかったのですが、息子である僕に気を配りすぎる母に対して、よく近所の人が諭しているシーンだけは、なぜか鮮明に覚えているんです。

子供の頃は、自分ではそういう感覚はあまりなかったですけどね。
母も、二人の姉と歳の離れた末っ子の私を一人前に育てようと、必死だったのかもしれません。

 あらゆる可能性を強く信じられるようになった原点

水泳一家で育った私は、小学生になって地元のスイミングスクールで水泳をはじめました。
小学生でも平日の朝7時から学校に行く前に練習をしたり、夜も遅くまで練習をするような、
かなりレベルの高いスイミングクラブだったんです。

小学生の頃は、周りに比べてカラダも小さく、努力してもなかなか芽が出ませんでした。
親戚や家族が水泳でたくさんの輝かしい記録をもっていたので、
「期待の水泳選手として早く結果を出して、みんなの喜ぶ顔がみたい!」と幼いながらに思っていました。

でも毎日必死に練習しても、遠征メンバーに選ばれないなど、小学校時代は苦しい状況が続きました。

「こんなに頑張ってるのに、なんで強くなれないんだ・・・」と悔しい想いなどを抱きながらも、
不思議と水泳をやめようとは思わなかったですね。

家族や親族の「喜ぶ顔がみたい」というのもあったのかもしれません。

その頃に小学校の文集で書いた好きな言葉は「可能性」ですから。
結果が思うように出ない中、自分自身の力と可能性を信じて、ひたすら水泳と真剣に向き合って、
努力を続けるしかなかったのだと思います。

諦めずに粘り強く努力し続けていると、中学生になって、ついに結果が出始めました。

分析・リサーチ・実行・改善のサイクルで確実に結果を出す

中学校に入ると、中体連では200m自由形で優勝、高校総体でも50m自由形で優勝するなど、
周りが驚くほど記録が伸びていったのです。
今思えば、この時僕は水泳を通して、「結果を出すためのコツ」みたいなものをつかむことができたのかもしれません。

小学生の頃、周りと比べてなかなか水泳が強くならない中、諦めずに自分の可能性を信じて練習を続けていました。
そして最終的に、それが目に見える形で結果が出てきたという経験をしたのです。

この経験からか、大人になった今、私はなぜか上手くいっていない人や物事をみると
「改善すべきポイント」が感覚的にわかるようになるだけでなく、
その人や物事の「秘めた可能性」みたいなものを信じられるようになったんです。

もちろん、その可能性を引き出すためには、何が問題になっているのかを「分析」し、
その問題を解決するための方法を徹底的に「リサーチ」して、実際に改善策を「実行」してみた上で、
また振り返って「改善」していくというサイクルが欠かせません。
でも、そこにしっかりと取り組んでいくことで、強みをうまく引き出し、多くの問題がよい方向に向かっていくと思っています。

可能性を引き出すと輝きはじめる

このサイクルは、あらゆる場面で応用できます。
私は30代の頃、ある外資系IT企業で、マネージャーとして働いていたことがあります。

外資系の企業らしく、給与体系は成果主義で、マネージャーの給与はチームメンバーの成績次第で変わるというものでした。
当然マネージャーたちはみんな、成績が良いメンバーを自分のチームに迎えたいと主張しますよね?でも、私は逆でした。

わざわざ上司に、「成績が悪いメンバー」を下から15名、自分のチームに迎えたいと願い出たんです。

なぜかというと、私には何となくわかってしまうんです。
彼らがなぜうまくいっていないか、そしてどうやったら上手くいくかが。

だからこそ、一人一人の中にある「可能性を引き出す」ことで、彼らに楽しく仕事をしてほしいって思ったからです。
辛そうに仕事をしている人を放っておけない性格だっていうのもありますけどね。

最初成績が悪くて、会社から問題児扱いされていたメンバーたちは、
私のチームに入ることで、結果的にほぼ全員が平均以上の成績になり、仕事にやりがいを感じるようになっていきました。

周りからの評価が低く、今自分に自信が持てない人であっても、その人の中には必ず強みがあります。
その強みをうまく引き出してあげることさえできれば、状況は大きく変わっていくのです。

これは、人だけでなく、地域の活性化など様々な場面でも言えることだと思います。
その地域がもつ「魅力や強み」は必ずあるはずです。

それをいかに「引き出していけるか」が、輝きを取り戻すために大切な視点なのです。

諦めるより可能性を信じる

おかげさまで、私が会社を辞める際、全体での送別会以外にも大小の送別会が、
個別で16日間連続で開かれるなど、多くの同僚や部下たちに慕ってもらうことができました。
そして、その時の仲間たちとは今でも交流が続いています。

たった数年の間に、これほどまでに多くの仲間に恵まれ、絆を深めることができたのは、
やはり、私が常に「可能性を信じる」というスタンスで、多くの人や物事と関わってきたからではないかなと感じています。

「あの人は仕事ができない」「もうどうしようもない」など、諦めてしまうのは簡単かもしれませんが、
すべての人や物事の中には、必ずポテンシャルがあると、私自身は感じるのです。

今はまだ潜在化していて見えていない「強み」や「魅力」に気づき、それを活かすことができるかどうかだけなのです。